京都の磐座


籠神社・奥宮このじんじゃ・おくみや
京都府宮津市大垣430


■「元伊勢」とよばれる磐座

 かつて丹後国の西半分を占めた丹後半島。古く は丹波国に含まれていたが、のち分国され、丹後 国となった。籠神社は半島の付け根、天橋立の北 側に鎮座する。丹後国一ノ宮で『延喜式』では、 名神大社に列せられた。神社の 栞には「元伊勢 籠神社」と記されている。
 宮司家は、海部直とよばれ、丹後や若狭の海 部族を統率していた氏族と伝わり、丹波 国造 としての家系を受け継いでいる。丹波国が、但馬 や丹後に分かれる以前の古い家柄といえよう。宮 司家がかつての国造であり、いままで続いている 例は、海部家以外にも存在する。出雲大社の千家家、 阿蘇神社の阿蘇家、国懸神社(和歌山県) の紀家の三家だが、いずれも天皇家と並ぶ歴史の 重さを背負っている。
(『磐座百選』より一部抜粋)





船岡山ふなおかやま
京都府京都市北区紫野北舟岡町42


■四神相応の地、平安京の「基点」とされる磐座

 磐座は山頂の南端に位置する。北側から見ると、 1.5メートルほどの高さでしかないが、南側に まわると崖になっており、巨大な岸壁が立ちはだ かるように迫ってくる。高さは5メートルほどか。 そのごつごつとした岩肌と、覆いかぶさるような 威在感に圧倒される。古来より「修法の場」とし て記録に残る山だが、遷都以前からの聖地だった のか。それとも、秦氏が祀る磐座であったのか。 どちらにしても、この岩壁の前で祭祀が行われて いたにちがいない。盆地の北域に浮かぶ「蓬莱島」 のような存在と、頂上に鎮座する磐座が、秦 氏の力とともに、新京選定に大きな意味をもった と思われる。
(『磐座百選』より一部抜粋)





松尾大社まつのおたいしゃ
京都府京都市右京区嵐山宮町


■松尾山・大杉谷に鎮座する巨大な磐座

 松尾と書いて、マツノオと読む。由緒には、背 後の松尾山を含む一二万坪が境内であり、「京都 最古の神社」と記してある。長岡京や平安京の造 営に影響力を行使した渡来系の秦氏によって創建 されたこともあり、平安京の左右の基軸となった 神社とされ、「四条通」の西の端に位置している。 東の端には祇園の八坂神社が相対している。
 秦氏は、高野川や賀茂川の河川改修に功績があ り、伏見稲荷大社などを創建しているので、よほ ど勢力が大きかったと思われる。
(『磐座百選』より一部抜粋)





伏見稲荷大社ふしみいなりたいしゃ
京都府伏見区深草藪之内町


■雷神を縛りつけたという磐座

 稲荷大社の創祀は、『山城国風土記』逸文に記 された「 秦伊侶具が餅を的にして弓を射たとこ ろ、餅に籠る神霊が白鳥になって山の峰に飛んで いき、稲が成ったのでイナリとなった」という伝 承による。主祭神はウカノミタマ(倉稲魂神)と いい、五穀をはじめすべての食物を司る神で、イ ナリはもと「稲成り」の意であったが、イナリ翁 の神影が稲を荷っているところから、「稲荷」の 字が宛てられたと伝わる。山の神であり、稲作の 神とされる由縁だが、稲荷信仰の基層は、どうも 稲荷山の位置と気象状況にあるらしい。
(『磐座百選』より一部抜粋)




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