■「元伊勢」とよばれる磐座
かつて丹後国の西半分を占めた丹後半島。古く
は丹波国に含まれていたが、のち分国され、丹後
国となった。籠神社は半島の付け根、天橋立の北
側に鎮座する。丹後国一ノ宮で『延喜式』では、
名神大社に列せられた。神社の 栞には「元伊勢
籠神社」と記されている。
宮司家は、海部直とよばれ、丹後や若狭の海
部族を統率していた氏族と伝わり、丹波 国造
としての家系を受け継いでいる。丹波国が、但馬
や丹後に分かれる以前の古い家柄といえよう。宮
司家がかつての国造であり、いままで続いている
例は、海部家以外にも存在する。出雲大社の千家家、
阿蘇神社の阿蘇家、国懸神社(和歌山県)
の紀家の三家だが、いずれも天皇家と並ぶ歴史の
重さを背負っている。
(『磐座百選』より一部抜粋)
■四神相応の地、平安京の「基点」とされる磐座
磐座は山頂の南端に位置する。北側から見ると、
1.5メートルほどの高さでしかないが、南側に
まわると崖になっており、巨大な岸壁が立ちはだ
かるように迫ってくる。高さは5メートルほどか。
そのごつごつとした岩肌と、覆いかぶさるような
威在感に圧倒される。古来より「修法の場」とし
て記録に残る山だが、遷都以前からの聖地だった
のか。それとも、秦氏が祀る磐座であったのか。
どちらにしても、この岩壁の前で祭祀が行われて
いたにちがいない。盆地の北域に浮かぶ「蓬莱島」
のような存在と、頂上に鎮座する磐座が、秦
氏の力とともに、新京選定に大きな意味をもった
と思われる。
(『磐座百選』より一部抜粋)
■松尾山・大杉谷に鎮座する巨大な磐座
松尾と書いて、マツノオと読む。由緒には、背
後の松尾山を含む一二万坪が境内であり、「京都
最古の神社」と記してある。長岡京や平安京の造
営に影響力を行使した渡来系の秦氏によって創建
されたこともあり、平安京の左右の基軸となった
神社とされ、「四条通」の西の端に位置している。
東の端には祇園の八坂神社が相対している。
秦氏は、高野川や賀茂川の河川改修に功績があ
り、伏見稲荷大社などを創建しているので、よほ
ど勢力が大きかったと思われる。
(『磐座百選』より一部抜粋)
■雷神を縛りつけたという磐座
稲荷大社の創祀は、『山城国風土記』逸文に記
された「 秦伊侶具が餅を的にして弓を射たとこ
ろ、餅に籠る神霊が白鳥になって山の峰に飛んで
いき、稲が成ったのでイナリとなった」という伝
承による。主祭神はウカノミタマ(倉稲魂神)と
いい、五穀をはじめすべての食物を司る神で、イ
ナリはもと「稲成り」の意であったが、イナリ翁
の神影が稲を荷っているところから、「稲荷」の
字が宛てられたと伝わる。山の神であり、稲作の
神とされる由縁だが、稲荷信仰の基層は、どうも
稲荷山の位置と気象状況にあるらしい。
(『磐座百選』より一部抜粋)